Little AngelPretty devil
            〜ルイヒル年の差パラレル 番外編

   “秋麗寂斬”


 空気が冴えて澄んだせいなのだろう。真昼の空の青が随分と高くなり、いい天気だと“晴れ晴れ”という言葉がいかにも相応しい、突き抜けた晴れ方をする気候となったけれど。さすがに気温は下がりつつあるのだろう、頬を撫でてゆく風は日に日に素っ気なくなってゆく。そんな透き通った青空を背景に、山々が少しずつ赤や紅蓮に塗り替えられてゆくのもまた、この時期にのみ堪能できる、眼福な景色眺望であり。遠い山肌から始まって、やがては身近な楓や蔦も、緑のところと赤や黄色の入り混じりようが絶妙な、あでやかな錦を織り成すことだろて。

 「そういう時節の森閑を、わざわざ騒がさずともよかろうにの。」

 いかにも“迷惑なことよ”と言いたげな口調での呟きへ、

 「ほほお、暇だ暇だと ぼやいとったのは誰だ?」

 そんな合いの手があって。だが、すかさずのように“ごつり”という音が響くと、元の静けさが戻って来る。騒がさずとも…とは言うたけれど、周囲の空気は夜半の闇に沈んでそのまま、しんとして静かなばかり。上弦の月の降り落とす蒼い光が、伸び放題な庭木の茂みを濡らす中、結構な広さの庭園跡を分け入ったその先の、四阿
(あずまや)のようになった残骸に気がついて立ち止まってから、そろそろ半時以上の刻が経つ。こういう事態やこういう手合いに対すときは、様々な機が重なり合う“合(ごう)”という間合いを待つもの。そんな運びにも重々慣れている彼らであり、

 「……お。」

 そんな静謐の中。風もないのに、人の気配も勿論しなかったのに、見遣っていた焼け跡に、淡い篝火がゆっくりと、だが次々に灯り始める。月光に似た色合いの、いかにも生気の薄い炎たちは、幾多の人魂のようでもあり、

 「ここが焼けたのは半年ほど前の夜中での。」

 夜目に際立つ純白の厚絹、痩躯をくるんでそれは凛々しき狩衣姿の君が。その懐ろに白い手を差し入れつつ、低い声にて語り始める。
「中堅どころの権門の、なかなか面倒見のいい初老の男が、近年娶ったばかりの若い妻を、世話係ともども住まわせておった別宅だったらしいのだがな。」
 この時代の婚姻は、夫が妻の在所へ通う“通い婚”。夫婦が1つ屋根の下で同居し、生活を共にするというのは、貴族の屋敷ではあんまり例がなく、
「その男にしてみれば、少々困窮しかけていた知人の娘御、助けてやるつもりの婚姻だったのらしいのだが。最初はよく仕えた女だったものが、いつ頃からか秘密裏に男を通わせ始めたらしゅうての。」
 おや、と。連れが話の行方へ意外そうな気配を揺らがせたが、特に構いもせぬまま、若き御主は言葉を続け、
「まま、年頃も離れていることだし、今が盛りという若く美しい娘。自分のような年寄り相手では何かと詰まらぬ向きもあろうと、なかなか寛大にも見て見ぬ振りをしておこうなんて構えたらしいのが、今にして思えば大きな間違いの元での。」
 妻の周囲の女房らを丸め込んでの無体かと、当世には珍しくもない成り行きでのことならば、そのうち家人らへ意見でもしてやろうと思っておれば。そんなじゃあない、妻が前から意を通じ合っていた男だと判った。それも、周囲の者らが囁く心ない風聞でだ。年甲斐もなく若い娘を金で手に入れて娶ったと、そんな言われようもしていたそうだが、そっちは娘の実家のためと黙って聞き流していたご老体。だが、

 『金や格付けには逆らえず、それでと娶られた身です。』

 そんな言いようで夜ごと男をかき口説き、野暮な夫だからどうせ気づくまいと高をくくっての挙句、老い先短いお人だ、あと何年か我慢をすれば晴れて自由の身とまで、選りにもよってその妻が、間男との寝物語にと持ち出しておったを聞いてしまっては、もはや堪忍袋の緒も切れたらしゅうてな。

 「世間の皆が自分を指差して嘲笑っているような状況にも、
  何とか耐えられた男だったが、
  そんなしてまで気づかぬ振りを通してやった当の相手が、
  いけしゃあしゃあとそんな言いようをしたんじゃ、そりゃあ堪らねぇ。」

 寛大に意見して諭すつもりで忍んでいたものが、そこまで言われて…眩暈がするほど逆上したんだろうな。そのまま彼らの寝間へ飛び出すと、燈台の高脚を引っつかみ、屋敷中に火を零しながら、驚き慌てる男女を追い回し、

 「間男の方は取り逃がしたが、若い妻女はその髪掴んで離さぬままにし、
  とうとう焼き殺してしもうたと。」

 術師の静かな語りには、嘲笑の気色など籠もってはいなかったけれど。それでも…いい話いい噂じゃあないとの自覚があるものか、焼け跡に浮かんでいた青白い篝火の群れは、ゆらりふらりと揺れ始め、こちらへ向けて宙をやって来る気配。
「怨嗟の相手、奥方が亡うなったというに、それでも昇天しねぇのは、自分のやらかした大事が信じられねぇからかと思うたが。」
 低められてたその声に、少しずつしなやかな張りがみなぎってゆき、懐ろから取りい出したる咒弊を指先へと挟んでの、腕ごと横薙ぎに振り払う切れよい所作に添わせ、

 「いまだ見つからぬ間夫までも、呪い殺そうとは呆れた執念よのっ。」

 鋭い一声が夜陰を裂いて轟いたと同時、それまでは幻のように頼りなく浮かんでいた炎が、いきなり閃光ほとばしる鋭利な切っ先に次々と転じ。若木のような肢体にて、すっくと立ったる白衣紋の君へと、風を切っての一斉に、躍りかかっていったのだけれど。

  ―― 斬っっ!

 形ある刃物の如き凶刃の群れが、容赦なく飛んで来て。降りそそぐ月光よりも妖しき存在、彼自身が光を放っているかのような嫋やかな白面、無残にも切り刻むかと思われたけれど。堅い音を闇の中へと蹴立てさせての、怪異な刃を全て余さず弾き飛ばした俊腕の鮮やかなこと。

 「半年も前に燃え尽きた執念にしちゃあ、結構 生きがいいな。」

 月光に濡れた剛剣が闇を斬り裂いてのそのまま、その凶悪な光をぬらぬらと放ってあらわにしており、

 「小者は任せた。」
 「ああ。」

 自身への殺意を感じていながら、だのに微動だにしなかったうら若き術者のすぐ眼前。呪いの刃による襲撃から、盾のように雄々しきその身を躍らせ、余裕で守り切った黒装束の男が。振り向きもしないで応と返したそのまま、陰の覇力を満たした大太刀、ぶんと振り抜きつつ、前方へと駆け出している。邪妖の中でも人の姿にまで変化出来るものは“大妖”といい、蟲妖の一派、蜥蜴の一門を率いる総帥でもあるこの男。普段はこの姿で人前へも顔をさらし、身内以外の人々へも“黒の侍従”という通り名で知られての、こちらの白面の青年に仕える身。

  ―― たかが人の子、
      だのに大上段からの物言いをする彼へ従うは、
      その身を守り助ける“式神”となる契約があってのこと。

 大内裏に上級官吏として務めるほどの、その年頃でも結い上げぬままのざんばらにした、金絲の髪が夜風に躍る。陽の光を集めたかのような淡い色合い、ここ日之本では不思議な髪色をした青年で。それだけじゃあない、瞳の色も玻璃玉のように透き通った金茶だし、骨張るほどじゃあないながら、脆弱に見えかねぬほどの痩躯を覆う肌の色は、病人のそれのように生っ白いと来て。何も知らぬ者からならば、まずは化け物扱いされかねぬところ。見識ある者からだとて、あるびのとかいう変わった生まれかと断じられての、人ならぬ者扱いされても仕方がなかろう時代だというに。

 『我は伏見に あま下りたる大ギツネ、稲荷大明神様のお使いぞ』

 何だかいろいろ混ざってもいよう、ありがたいのだか畏れ多いのだかも微妙な肩書を持ち出しておいて。人には出来ぬだろ ちょっとした小技、茶碗の水を立ち上がらせたり、そうかと思えば明日の空模様をぴたりと当てたりという、様々な手妻や目眩ましを見せちゃあ日銭を稼いでいた、そりゃあ賢(はしっ)こい童子だったというから頼もしく。それが長じて企んだのが、邪妖の惣領への末恐ろしい持ちかけで。

 『窮地を救ってやるから、帝への目通りに一役買え』

 そんな大それたことまで言っての、やってのけてしまえた大器の持ち主は、相変わらず その出自は不明のままながら、今じゃあ都で最も実力のある陰陽師として名を馳せており。そんな青年の供連れとなっての送る日々は、これが結構 波瀾万丈。愉快痛快な事態から切ない真実の発現までと、毎日のよに起きるあれこれと、それから…彼自身への興味も尽きずで。気がつきゃ離れがたい間柄、式神としての契約以上の絆とやらが、しっかと培われての相方同士となって久しい彼らであり。

 《 寄るな、来るなっ!》
 《 その身が焼けるぞ、とっとと退きなっ。》

 大外の結界を護りし小者ら、式神殿に精霊刀を振るわせて斬り開き、豪快に破らせるのは常のこと。恐持てのする鋭角な面差しを尚のこと凄ませて、

 「こちとら人の子じゃあねぇんでな。
  たかだか木の葉の咒弊や形代に諭される訳にはいかねぇ。」

 足元浮かせた怪しき影、流れるように寄り来ては行く手を阻むを物ともせずに。右に左に切り払ってゆく頼もしさ。

 《 ぐあ…っ!》
 《 ぎゃあっ!》

 断末魔の叫びもそれらしく、薙いだ端から宙へと姿がほどける咒弊を次々刻んでの、今にも崩れ落ちそうな廃屋の中を、恐れるでなく突き進んでゆけば、

 「…蛭魔。」
 「ああ。」

 先杖はここまでと、脇へ退いた大きな背中を視線だけにて見送った、金髪痩躯の術師の眼前に、何とも異様な光景が現れる。煤けた床板の上、緑がかった光で描かれた陣が妖しく輝いており。何重かの同心円のところどこ、梵字のような記号のような印があり、それらに囲まれている中央部にぼんやりとした人影が見える。鮮明な表情だのいで立ちだのという細かい輪郭までは伺えない、カゲロウや幻のような存在だけれど。やはり青白い光をその身から放ちつつ、割座のまんま うずくまるよに座している態は何とも奇怪。

 「あんたが此処の主人だな。」

 《 ……。》

 返事はないが、それが答えのようなもの。自分の胸元へとかざし、邪気を浴びぬようにとしていた護身の咒弊を、その指先からふっと中空へと解き放つ蛭魔であり。とたんに燃え上がり、一瞬にして掻き消えた小さな炎を、

 「……。」

 眉を顰めて見やった葉柱は、だが、護衛のために飛び出したりはしない。ここから構えられよう封印破邪の仕儀の邪魔になるし、その前に、がっちがちに守られることを、微妙に嫌う蛭魔だからでもあり。そんな呼吸を飲み込める身となりはしたけれど、

 “……。”

 だからと言って納得づくのそれじゃあない。それこそ本人から罵られても構わぬと、その身をこそ優先しての大事にしたい。だがだがそれでは、彼の矜持を踏みにじることと成りかねない。ちょっとしたことであっさりその命が潰えてしまう身のくせに、それでも、人の和子という生き物は、矜持だの誇りだのを重んじる。だからこそ、その命が太く短いのかも知れず、だったら、そんな想いもまた、大事にしてやらにゃあならぬから。せめて…何かあったらすぐにでも、御主を横抱きにし、退散出来るようにとの覚悟の下。今は状況を見渡しつつ、相手の悪意や戦意の気配を嗅ぐに留どめて、ただただ待機している葉柱で。

 「庇護した者から蔑まれ、さぞかし無念であったのだろうが、
  そろそろ観念なさってはどうだ?
  お主を謀った妻女だけじゃあない、
  女房や仕丁らも結構な数を巻き添えにしたと聞いておるぞ?」

 しかもしかも、それらの怨嗟も呑んでの増幅された悪意の波動は、都の夜へとじわじわ染み出し、ここいら近辺に様々な怪異を起こし始めているともいう。

 「殊に、幼い和子らを病に引き込み、無垢なる魂喰らうは、
  一体どういう料簡からの悪戯なのかの。」

 そう。そこまでの被害が及んでいると聞き及び、何とかしてはもらえぬかとの依頼があっての出陣で。気が済みゃあ消えるという方向に向かない以上、叩いて昇天さすしかないだろと。蛭魔が新たに取りい出したは、封印浄化のそれではなく、退魔滅殺、そりゃあ強力な陰体破戒への念を込めたる咒弊の束で。それをかざしての、半身の構え。板張りというのも名ばかりな、砂まみれの床に じりと爪先進めれば、

 《 ……憎い。あやつめ、和子を…和子を孕んでおった。》

 そんな声がどこからか滲み出す。

 「和子?」
 《 ……。》

 訝(いぶか)しげな声で聞き返しても、相手からの応じはなく。その代わりのように、座像がぐんぐんと陰ってゆく。怨嗟の集約、周辺に漂っていた哀れな巻き添えの魂までもを引き寄せての、力を溜めようという動きかと、

 「させるかよっ!」

 弊を額の前へとかざし、これはいよいよの着火の仕儀。じわじわ込められる念へと呼応し、弊の縁が燐光を放つ。唇のうちにての詠唱で紡がれた咒詞は、一撃必殺の鋭さを持つ、大きな威力の攻撃咒のそれで。

 「哈っっ!」

 陣の中へと精気を取り込み、際限なく膨らみかけていた邪気へと目がけ、それもまた式神の弊鳥の術を思わす鋭さ、純白の咒弊を宙を滑空させての投げつけたれば、


 《 ぐあぁあぁぁぁっっっ!!!》


 半ば枯れた声音での断末魔の叫びが鳴り響き、それを追うようにして、板敷き床につむじ風がすべり出し、螺旋を描いて埃を舞い上げたのが最初の予兆。こちらがハッとし、身構え直す間もなく、


  ――― 轟っっ、と


 核への結楔がほどかれた証し、凝結していた念気が外へと逆流し始める。嵐のような突風が吹き荒れだして、屋台骨が緩みまくっていた焼け跡は、あちこちがギシギシと軋み始めてもおり、
「蛭魔っ! 外ン出るぞっ!」
 用は済んだし長居は無用と、衣紋の袂や裳裾をひるがえし、こちらは漆黒の狩衣まといし腕を延べたが、

 「待て。」

 そんな切迫をよそごとのように聞いているものか、どこか呆然とした表情で突っ立って、頭上へとその視線を向けている蛭魔であり。白い横顔、苛立たしげに見やっての末、その視線を自分も追った葉柱が、

 「あ…。」

 遅ればせながら、蛭魔と大差ない表情をさらす。先程まで陣の中央に座していた影は咒弊に引き裂かれて消え去ったけれど。その真上に浮かんでいたものが依然として居残されており。結構な広さの天井を半分は覆っていようほどという、信じがたいまでの巨塊ではないか。
「念式石の咒術だな。あれの圧を間近に感じ、落ちて来ぬようにとの切迫で意識を集中させるのだ。」
 こういう方面へは素人だったのだろうに、途轍もない覇力を擁していられたそのからくりの大元がこれだったに違いなく。だが、
「術って。だって…あれは、お前が退散させたのは、既に亡者だったじゃねぇかよ。」
 生者がその念を尖らしたり研ぎ澄ますための仕儀であり、亡者となった存在には必要がないし、それ以前に…石なんぞが降って来たって潰れぬ身なのだから、当然のこと、効果もなかろうものの筈。
「それが効果を成してたってことは、だ。」
「……おいおい、待てよ。」
 不貞を為した妻は死んだが、火を放った夫のほうは、今の今まで生きていたと?

 『ぴんしゃんとってんじゃあなかったろうが、
  生きてんだか死んでんだかって端境にいたのかも知んねぇ。』

 後日の蛭魔の見解はそんなところであったのだけれど、今はそんな瑣末なことを取り沙汰している場合でもないらしく。
「念じることへ不慣れな輩が持ち出すやりようだけに、途轍もない集中をもたらしてた場合、その念の凝縮をあの石もまた吸うておるもんだそうでの。」
 反発力を発して支えていた格好の術者がいなくなった今、その石が中空に浮かんでいられる道理はなく。念によって作り出されし精神物体ならば一緒に消えておるはずで、そうじゃあないともなれば、

 「落ちて来るぞ。」
 「だったら尚更、眺めててどうすんだっ!」

 柄にもなく足が竦んだか、と。挑発半分、叱咤しかけた葉柱がハッとした。大穴が空いた天井から降りそそぐ月光により刻まれしもの、主人の姿を少々いびつに縮めての、足元から黒々と床に伸びている陰が。蛭魔のそれは…淡い光で輪郭を縁取られ、異様な闇だまりと化しており、

 「……影縫い、か?」

 陰体を祓えるほどもの法力を持つ存在は、恐れられると同時にその力を狙われてもおり。それほどの力もて、陰に通じた者なれば、その身を喰らわば妖力も増そうという理屈から、敵わぬならば相手を同時に滅ぼしてその身をいただこうという、一か八か、破れかぶれも甚だしい企みを仕掛ける妖異も少なくはない。そのくらいの用心、していなかった蛭魔ではなかっただろうけれど、葉柱がぎょっとしたように、相手が純粋な亡者ではなかったらしいという事実への驚愕が、そんな彼へさえ思わぬ隙を生じさせたらしくって。

 「蛭魔っ!」

 その場から動けぬ痩躯に、何を思ったか葉柱が飛びつく。
「な…馬鹿ヤロ、とっとと逃げねぇかっ!」
 念の突風が吹き荒れ続けており、立っているだけでも大変なその上、砂ぼこりや風圧そのものの強さにぎゅうぎゅうと押され、おちおち目も開いてはいられぬような惨状だけれど。真っ直ぐ駆け出せばまだ、すぐそこの濡れ縁の跡だろう間口から外の庭へと飛び出せる。だって言うのに何をもたもた、無駄なことをしやがるかと、もがきかかった蛭魔の足元、大きな陰がすっぽりと覆い、

 「……え?」

 突然その身が自由になったので、たたらを踏みかけ、つんのめった痩躯の背中、なおも押し出した手があって、

 「そっちこそ、とっとと出て行きな。」
 「な…っ。」

 月からの光をその身で遮るようにと覆いかぶさって来た葉柱だったらしく、覆われたことで陰が消えた一瞬、術が解けての自由になった蛭魔を、そのまま屋根の陰の下へと押し出した手が、ふっと離れたそのまま、

 「…………っ!!」

 ほんの鼻先へ瓦礫が怒涛のように降り落ちて来たものだから、咄嗟に反射が働いて、その身が後方へと飛びすさっての退いている。あのとんでもなく大きかった念式石のみならず、何とか残っていた屋根や梁まで、一気に落ちたのらしくって。

 「あ……。」

 どさがしゃ、ばきめり…様々な破壊音が辺りに満ち満ちての、大音響を奏で始めて。埃や木屑がもうもうと舞い上がりの立ち込めのするのが、夜陰のそこへ霞のように広がり始め、とてもじゃあないが間近には居られない惨状が、荒庭の方まで押し寄せてゆき。そんな騒ぎに起こされたのだろ、間近い杜に巣くう鳥たちが、こんな夜半だというに、夜目をも恐れず飛び立ってゆき、住民らをそれはそれは脅かしたそうな。







   ◇  ◇  ◇



  どのくらいの刻が経ったものか。


 「……ばかしら。」
 「俺りゃあ、葉柱、だ。」

 眞の名前のみならず、そっちの名まで忘れんなとは、結構な小理屈持ち出しての反駁をしたあたり。どうやら頭は無事らしいなと、安堵の息をついたらしい蛭魔の顔が、こちらを上から覗き込んでいるこの態勢。おややぁと不審を覚えつつ起き上がりかかったが、

 「…つっ!」
 「まだ動けまい、大人しくしてな。」

 人に比べりゃ治癒能力が高い彼らだが、それでも、今さっきまでうずたかく積もった瓦礫の下になっていたのだ。身体中のあちこちが打ち身や何やに痛むはず。まずはと降り落ちて来たのがあの念式石ときて、いくら邪妖という身でも、ホントだったら潰れていたって不思議はなかったほどもの危機だったはずだけれど、

 「砕きはしたらしいな。」
 「ああ。」

 あれが生者の念による代物だったなら、もしかして精霊刀が通らんかったらどうしようかとは後から思ったらしくって。粉々に粉砕したので、結果としてかぶった重みは大したことはなかったらしいが、
「あれが生者の念であれ、肉体とか固体じゃなけりゃあそりゃ陰性物だから、通用したんじゃね?」
「あ・そか。」
 こんな呑気な言が出る奴に救われたなんてと、ややもすればそこんところが腹立たしいが。その上体をお膝へと乗っけてやった男の重みは、間違いなく生きてる存在の温みを帯びていたし、

 『蛭魔っ!』

 あの、絶対絶命の間合いに、この身をぐるりとくるみ込んでくれた、男臭い芳香と屈強で頼もしい肉置きの質感は。総毛立っての今にも砕けそうだった切迫感から、あっさりと蛭魔を救い出してくれもして。ただまあ、一瞬でも“助け出された”なんてこと、感じさせられたのは癪だったので、

  ―― ば〜かヤロが。あんな石ころなんざ、別に困りはしなかったんだよ。
      何だよ、それ。

「手や口は動かせたんだ、咒で砕くなり結界で弾くなりが出来たんだ。」
「あ・そっか。」

 だった何で、とっととそうしなかったなんて揚げ足は取らずの、単純に丸め込まれてくれる奴だから他愛なくって。あとは…その身を抱えてやってるこの手が、泥や木屑にまみれての汚れまくり、瓦礫に挟んで擦り傷だらけなの、どうやって誤魔化そうかと。そんなこんなを困ったように案じていた、陰陽師殿であったこと。頭上に浮かんだお月様だけが知っている……。






  〜Fine〜 08.10.15.


 *さあ、久々に“陰陽師もの”っぽいのを書こうと構え、
  少しは雅なタイトルをと ちと考え込んだ割に、
  中身は日頃と大差ない荒っぽさに落ち着いてしまいました。
  ……人間が変わらにゃあ あかんということやね。

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